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欧米の探険家
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近代以来、麗江地区の豊富な植物資源は欧米に普遍的に注目されている。前後で、フランス、イギリス、ドイツ、オーストラリア、スイスなど国の十数名の植物探険家が麗江に来て、植物標本と種を採集して、“植物王国”と称される麗江で千種以上の植物新種と数百種の新分部を発見した。
ボール·セー、フランス人、清代の同治十二年(1873) 麗江に観光した後で、麗江の壮観な景観と豊かな植物資源に傾倒された。帰国後、「宇宙」という本を書いて、初めて麗江の自然景観と植物資源を詳しく述べた。
デラバイ(Delavay)、フランス人、清代の光緒九年(1873)、カトリック神父として、1890年に帰国まで前後に数千種の植物標本と種を採集した。
ドクローア(Duclo-ua)、フランス人、清代の光緒二十年(1894)、カトリック神父として、雲南で十二年布教した。その間に、たくさんの高山植物標本と種を採集して本国に郵送した。とくに椿、ゆり、ツツジ、ゲンチァナ、緑よもぎ、プリムラなどの名花が多い。
ソンリエ(Sonlie)、フランス人、清代の光緒二十一年(1895) 滇西北にたくさんの高山植物標本と種を採集して、7000余り点の標本を本国に郵送した。パリ自然歴史博物館のフランシュウ教授は郵送して来た標本によって、植物新種類と珍しい植物が数百種を発見したという。
モノエーグ(Mon-oeig)、フランス人、1895年に麗江でたくさんの植物標本と種を採集した。
ゲージ·フォレスト(George Forrest)イギリス植物家、清代の光緒三十年(1904)から、二十世紀 30年代にかけて、前後七回麗江などで植物標本を採集した。この28年間に合わせて植物標本が31015組(一組は枝、葉、花、実を含み、3―4点があり、総計が約10万点ある。)植物が約6000種、森林園芸の種と地下茎が数千kmグラムを採集していた。滇西北の新分布が約300種、植物の新種が約1200種を発見した。その中、約百種は鑑定してから彼の名前で名付けた。例えば1923年に名付けた麗江鉄杉のラテン名は“Tsuga Forrsstii Downie ”、モデルの標本は麗江で採集したものである。また、彼はたくさんの鳥類標本も採集していた。専門家の研究によって、約90種の鳥類が滇西北で初めての発見で、その中の約30種は鳥類学の新発見である。このために、彼はたくさんの栄誉をもらった。例えば、イギリス皇室園芸学会のビコトーリア栄誉勲章、ツツジ銀カップ、米園芸学会のゲージ金牌を授けられた。ヨーロッパで“今までの植物探険家の一番”と称されていた。
フォレスト以外、この間にイギリス人のアイドワ、アンドレも前後に麗江でたくさんの植物標本と種を採集して、持って帰国した。
ハンマジ(H-Handel-Mazzetti)、オーストリア·ウィーンの自然歴史博物館の教授で、1914年雲南で調査して植物標本と種を採集した。彼は麗江を根拠地として、広い地域に高山植物標本を約一万組採集していた。その標本はフィンランドとウィーンの自然歴史博物館に保存されている。1918年回国後、「中国植物紀要」(七巻)、「華西与植物地理与景観」などの本を書いた。なかには、麗江の豊かな植物資料と玉龍雪山など高山植物地理資料が収録されている。彼は専門的学者として麗江植物地理を研究するのは初めてのことである。
シネーデー(C.Schneider)、米ハーベト大学樹木学者。1914年から1916年にかけて、麗江などで数万組の動植物標本と数百kmグラムの種を採集して持って帰国した。
それ以外に、アメリカ籍のオーストリア植物分類学家ロック(J.F.Roek)は、1920年から1949年にかけて麗江で前後に数万組の動植物標本を採集していた。
近代以来、たくさんの植物学家が麗江で探険、考察、採集して、たくさんの植物新種と変種を発見した。、その中に麗江の山、川、地方で名付けられたものは約百種がある。このために麗江が“植物の王国”、“ 植物学家の楽園”、“ 植物遺伝子庫”と褒め称えられている。
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